円光院の「円光院文書」や、「頌文雑句」によると、当時の、いずれも葬儀用に描かれたと思われる、武田信玄・武田義信・三条夫人三人の当時の追慕像が存在していたようです。

おそらく、彼らのこの当時の追慕像は、それぞれ天正四年(1576)の四月十六日、永禄十年(1567)の十月十六日、元亀元年(1570)の七月二十八日の葬儀の時期に描かれたものと思われます。

もしかしたら、この三人の追慕像を描いたのは、武田信虎・大井夫人・南松院ら武田一族の追慕像を描いている、武田信廉だったのかもしれません。特に、やはり、謀反を起こしているという事で、肖像画すら描かれなかったのではないかと思われた義信の追慕像が存在していたのが、感動的でした。 しかし、つくづくこの三人の当時の肖像画が、幾百年の歴史の荒波の中で失われてしまったのが、残念です。