現在、武田氏の子孫と自称する家が、各地に多いようです。

このため、自家に伝わる伝承の信憑性について、当サイトに、個別に問い合わせるのは、どうかご遠慮下さい。私としては、対応しきれませんので。

 

大正三年に、武田信玄の位記宣命が正統な子孫に、

渡される事になり、調査を開始したものの、

あまりに全国各地から武田氏の子孫と名乗り出る家が

多かったため、困った山梨県が、当時の日本歴史学の

重鎮渡辺世祐博士に、調査を依頼したそうです。

同氏が十年かけて私人として調査した結果、最終段階

まで主だった候補として残ったのは、信玄の次男信親を祖先とする、正式に正統子孫と認定された、東京都在住の

武田昌信氏、米沢市の、信玄の六男で後に上杉景勝に仕えた武田信清を子孫とするという、武田茂家です。

また勝頼息子信勝の子孫とする、東京都の市川一家、

そしてこれも信勝の次男勝親を祖先とする、

兵庫県の武田勝信家の四家です。

そして、初めに上野晴朗氏も、「もちろん、大正時代の資料と同様に、強い裏付けがあっての事ではない。

ただ、自分の家ではそう伝えており、系図があるといった家々である。」と断っておきつつ、興味を惹かれたとして、武田義信系の子孫の主だった家として、

以下の三家を挙げています。この中で武田義信の子孫とするのが、義信の息子武田九郎左衛門源義光の家だと

する、八王子の尾股家、これも義信の息子だという、

東京都小金井市の、武田六兵衛正成の岩間家、栃木県の足利市の、義信の息子だという信房を祖先とする、

青木家。

これらの家に該当しない方は、相当信憑性は低いと

当サイトでは判断したため、どうか問い合わせはご遠慮下さい。少なくとも、これら地方に該当しない方々。

また、偽系図というものも、多いです。(このような戦国武将の子孫という伝承がある家は、各地に多いですが。)少なくとも、今の公式見解ではそうなっています。この武田氏の子孫問題について詳しくは「信玄の妻 円光院三条夫人 上野晴朗 新人物往来社」をご覧ください。すでに絶版になって久しいですが、図書館なら置いてある所も、あると思います。

信玄の位記宣命の話が持ち上がった大正三年当時、

武田氏の子孫と名乗る家が非常に多く、渡辺世博士も、

当時、大変に調査と認定に苦労されたようです。

やはり、このような一次史料にない、庶民側の系図の

氾濫、そして掴み所のない、その資料性格に弱り果てられたとか。

 

 

また、これもすでに書いている通り、いろいろな意味で

以前から私はこのサイト運営に限界を感じており、

もし今後閉鎖を決定する事になった場合、少なくとも

一ヶ月前には、サイト上で告知するつもりですが、

この期間よりも、より早くに告知なしで閉鎖する可能性も、全くないとは言い切れないので。

当サイトが、今後も永続的に存在するとは、考えないようにお願いいたします。ご自分の家の伝承の信憑性云々などせずに、ご自分の家は、もしかしたら武田氏の子孫かもしれないという、ロマンを各自楽しまれたらいいのではないでしょうか?

運営四年間近く、ほとんど反応なしというのは、

かなり辛いものがありまして。

自己満足だけで続ける運営には、最近ひしひしと限界を感じています。本当に、サイトに書く事を何とか

見つけ出すのにも、大変苦労している、今日この頃なので。また管理人の私の運営の気力自体も、相当萎えてきてしまっているので。

 

 

 

それから最後に個人連絡です。

1月26日に自分の家に伝わる、武田氏の子孫話の信憑性についてお尋ねいただいた、Sさんへ。あれから、メールで返答しようとしたのですが、

メールアドレスを変えてみたりして、何回送ってみても、なぜかいずれも

戻ってきてしまい、送る事ができませんでした。

ご記入いただいた、メールアドレスがまちがえている可能性は、

ないでしょうか? 本日も送る事ができなかったため、

当サイトのここで回答させていただきます。

僧侶になったという、信玄に病弱過ぎて、息子として認知されなかつた

子供がいたとは、聞いた事がありません。おそらく、史実ではないと思います。

それから、すでに書いているように、このように個人的に武田氏の子孫問題について、回答させていただくのは、このSさんの件で終りにさせてもらいます。