当時の三条夫人の呼称について、考えてみたいと思います。

おそらく、実家の三条家で暮らしていた頃には、三条夫人は公家の姫の次女を表わす呼称の「中の君」と呼ばれていたと思われます。

そして長女の細川晴元夫人は、長女の「大君」でしょう。

更に武田家に嫁いでからの、三条夫人の呼称ですが。

まず、この時代の武家の妻の呼称が見られるものとしては、「高白斎記」の中で、天文十一年に禰津から甲府の信玄の許に輿入れしてきた、禰津元直の娘の禰津夫人については「御前様」と表記されています。

そして、続いて八代英造家所蔵の、義信の母の三条夫人からの奉納と祈祷依頼と推測される、美和神社に奉納の赤皮具足に添えられていた、武田家臣の跡部又八郎の署名のある文書の中にも、同様の「御前様」という表記が見られます。そしていずれも、これら同時代史料の中で見られる、当時の武家の妻達を指す呼称なので、やはり三条夫人も当時は「御前様」と呼ばれていたのでしょう。あるいは「三条の御前様」など。

このように、この「御前様」というのは、一次史料の中で見られる呼称及び使用例なので、信頼性は高いと思われます。