武田信玄が信濃の駒場で臨終の際に、馬場信房にこれを三条夫人の菩提寺の円光院の説三和尚に渡すようにと託したという、陣中守り本尊の価勝軍地蔵と刀八毘沙門。
京の高名な仏師の宮内卿法印康清に、彫らせたという一品。
円光院の貴重な寺宝なのでしょうが、この二体の陣中守り本尊が、円光院のサイト上の平成28年1月1日の「円光院だより 光明 第51号」の紹介ページの中で、現在公開中です。
もう、五百年も昔の作品だというのに、いまだに彩色も鮮やかな感じです。この二体の仏像は、川中島の合戦の直後の、永禄八年に作られているもので、これに信玄と三条夫人の願いが込められているのではないか?と書かれていますが、そうかもしれませんね。
強敵上杉謙信の存在もあり、信玄も、更なる武田家の武運長久を、この二体の陣中守り本尊に、祈願していたのかもしれません。
追記
平成二十八年の七月十七日の、円光院で行なわれた、お施餓鬼法要で、何と帝京大学文化財研究所所長の萩原三雄氏を迎え、「武田信玄公と正室三条夫人」というテーマの講演が、行われていたようです。
私は当時、いろいろと忙しく、残念ながら、この講演に、行くことができませんでしたが。一体どういう内容だったのか、気になります。
しかし、こうしてわざわざ、こういう方をお招きして、武田信玄と三条夫人夫妻をテーマにした、このような講演が行われているのだから、彼ら夫婦について、今までとは違う見方の内容ではないのかな?と少し期待を抱いてしまうのですが。